助産師2年目、挫折しました。

きっかけは中学生の頃

そもそも私が医療職に就きたいと思ったのは、中学生の頃でした。

「人の役に立ちたい。」

そう思ったのが始まりです。

…と書くと聞こえはいいですが、今振り返ると、その頃の私は「自分が役に立つ人間だと証明したい」という気持ちの方が強かったのかもしれません。

母に初めて「看護師になりたい」と伝えた日のことを、今でも覚えています。

返ってきた言葉は、

「あんたなんかが看護師になったら、人が死ぬからやめなさい。」

それが第一声でした。

今なら、母なりに心配して言った言葉だったのだとわかります。
でも当時の私は、その言葉がずっと胸に刺さったままでした。

それでも、「なりたい」という気持ちは変わりませんでした。
どうしても諦めなかった私の進学を、根負けした母は応援してくれました。

看護学校へ進み、母性看護学の先生から紹介された、助産師さんたちが参加するブラジルのエイズ孤児支援イベントに参加しました。

恥ずかしながら、その時まで私は「助産師」という仕事をよく知りませんでした。

そこで出会った助産師さんたちは、出産や命について、本当に生き生きと、楽しそうに語っていました。
その姿を見て、私は心が震えました。

そして言われた一言。

「助産師になったらいいのに!」

その瞬間、私の夢は決まりました。

理想と現実のギャップ

岡山で助産師の資格を取得し、広島へ戻り、総合病院へ就職。
憧れだった助産師としての人生が始まりました。

…のはずでした。

でも、現実は思っていたものとは違いました。

私がぶつかった壁は、「世間知らず」という壁でした。

自分が仕事を覚えることに必死で、先輩たちがどんな思いで新人を育ててくださっていたのか、考えたこともありませんでした。

確認のために聞かれたことにも、

「わかります。」
「知っています。」

と答えてしまう。

まだ教えていただく立場なのに、「教えてください」と言えない。
見習いとして、謙虚に教えを乞うという立ち居振る舞いを、私はまったく知りませんでした。

……これ、学校では習いませんよね(笑)。

自分の言動に問題があることはわかる。
でも、何が問題なのかはわからない。
なぜコミュニケーションがうまくいかないのかもわからない。

自分を責めても、答えは出ませんでした。

考えれば考えるほど緊張し、
緊張するほど空回りし、
周りとの連携もうまくいかなくなる。

そんな毎日でした。

退職する少し前のことです。
申し送りが始まった瞬間、鼻血が出ました。

今でも忘れられません。
そのくらい、心も身体も限界だったのだと思います。

もがけばもがくほど苦しくなり、
逃げるように退職しました。

退職したあとは、心も身体もボロボロでした。
それでも、助産師という仕事は大好きでした。

だからこそ、

「私は助産師に向いていないのかもしれない。」

その現実が、とても苦しかったのです。

あれから見えてきたもの

あれから、ずいぶん時間が経ちました。
当時はわからなかったことも、今なら少しわかります。

あの頃の私は、
世間知らずで、
不器用で、
空回りばかりしていました。

できないなら、できないなりに。
失敗したり、間違えたときにどうするか。
実は、その後の行動がとても大切ですよね。

そのことに気が付いてから、私は大きく変わった気がします。

不器用で、技術も拙くて、足らないことだらけだけど、
せめてあるもので、誠実にできることをやろう。

10年ブランクを経て、もう1度助産師として働き始めたときも、
落ち込む毎日でしたが、

「せめて、やさしい助産師であろう」

自分にはやさしさくらいしか取り柄がないから、そこを伸ばそう。
そんな開き直りが、今の私の原点になったように思います。

(続く)

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