10年ぶりに助産師へ。もう一度、現場へ。

前原さんの、あの一言

自宅出産でお世話になった前原助産師さんに、ある日ふと聞かれたことがあります。

「矢野さん、やっぱり助産師に戻りたいんでしょう?」

「はい。」としか答えられませんでした。聞かれて初めて気づいたわけではありません。経験2年、ブランク10年という現実の前で、ずっと戻りたいという気持ちを口に出す勇気がなかっただけでした。

助産師の免許を持っているかどうかより、私は「女性を応援する人」「赤ちゃんと家族を応援する人」という生き方に、ずっと憧れていました。だから婦人靴を販売していた時期も、韓国で暮らしていた時期も、自分の中では「私は助産師です。」という気持ちは、実は一度も変わっていなかったのです。

実家の家業が終わりを迎えたこと。その後看護師として働いていたこと。主人が韓国へ単身赴任することになったこと。いろいろな条件が、少しずつ、けれど確かに重なっていきました。そして、前原助産師さんの紹介で、ある産婦人科へ面接にいきました。

面接で釘を刺された言葉

面接では、10年のブランクと、助産師経験がたった2年しかない私を採用することについて、「今までそんな人を採用したことがない」という話になりました。そこで師長さんが言われたのが、こんな言葉でした。

「あれができない、これができないというなら、やめなさい。助産師という免許を持って働くなら、できないことなどないはずです。」

温かい言葉ではありませんでした。正直、苦しかったです。でも今振り返ると、この一言こそが、私にとって一番大切なものだったと思います。経験が少ないことは事実です。でも、それを言い訳にしていい理由にはならない。分からなければ聞く、確認する、勉強する、できるように努力する。面接のこの瞬間に、その約束を交わしていたのだと思います。

働き始めてから、正直なところ心の中では「経験が少なくて…」と何度も何度も心で泣いていました。でもそれを言い訳に「できない」「わからない」とは一度もいいませんでした。「確認させてもらっていいですか」「こう思うのですが、いっしょにみてもらえますか」、そうやって周りに助けを求めながら、なんとか仕事を覚えていきました。

恵まれていた10年間の助走

同世代で経験豊富な助産師さんばかりの職場でした。私は経験も少なく、迷惑もたくさんかけました。それでも、責められることはありませんでした。忙しい職場でしたが、お互いを信頼し、尊敬し合える職場でした。先生方も、先輩方も、本当に温かく見守ってくださいました。家族にもたくさん支えてもらいました。「自分の努力だけで戻れた」とは、思っていません。私は、本当に恵まれていたのです。

そして、意外なところで役に立った経験もありました。韓国で暮らした1年半で、「自分の常識がすべてではない」ということを、身をもって学んでいたからです。まずは「ここはどういう場所なのか」を知ること。まず観察する。教えてもらう。その姿勢は、遠く韓国での日々の中で、すでに私の中に育っていました。

助産師である私自身も、実は妊娠・出産の時は不安でいっぱいでした。泣いてばかりいたのです。自信なんて、不安の前には吹き飛んでしまいます。その都度、助産師の立場で一つ一つ受け止め、励ましてくださった経験が、今、患者さんの気持ちを理解する力になっています。

復帰の道のりは決して順風満帆ではありませんでした。一時期、周りに迷惑をかけないようにと、業務ばかりを優先して、自分らしさを失ったことがあります。その働き方では、仕事がつらくなるのです。チームで働く以上、周りとの調和はもちろん大切です。でも、自分らしさまで失ってしまうと、仕事は続きません。いまある環境の中で「自分らしく働くこと」を優先することが難しくても、できるだけ、できるなりに、大切なものを大切にできないと続かない。挫折を何度も経験したからこそ、断言できる気がします。

遠回りだったはずの10年間

助産師を離れていた10年間、当時は本当にじれったく情けなく辛いと感じたことも沢山ありましたが、無駄ではありませんでした。

私は人にも、職場にも、家族にも恵まれていました。だから、誰にでも同じことが言えるとは思っていません。ただ、自分自身を振り返ると、その時には意味が分からなかった経験が、あとになって未来の自分を助けてくれること、けっこう沢山あるんだよな~と思うのです。

なので、いま辛い悩みや経験を抱えている方とお話しするとき、「こんなに大変な経験をしているあなたにしか言えないことってあるよね。いつか自分と同じような悩みを抱えている人に出会ったら、わたしも大変だったんだよ!と優しく声をかけてあげようね」と声をかけることがあります。いつかだれかの役に立つかもしれない、そんな視点を持つことで少し気持ちが楽になることもあるからです。わたし自身が過去の自分に言ってあげたい言葉だからかもしれません。そして、助産師として復帰できただけでは、人生終わりません(笑)ここから舞台は一度大阪に移ります。

(続く)

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