助産師やめて、韓国へ(笑)

「戻りたいけど、戻れない」10年

総合病院を離職してから、助産師に復帰するまで、10年かかりました。

いつもいつも、やっぱり助産師に戻りたいと思いつつ、経験年数2年じゃなにもできない・・・できるという気もしない・・・なかなか勇気は出ませんでした。

婦人靴販売のマネージャーになる

実家が広島で何店舗も経営する婦人靴販売をしていました。バブルの崩壊以降、経営に苦労していた両親から、「とりあえず次が見つかるまで、店を手伝わないか?」と言ってもらい、事務を手伝うところから始め、売り場にも立ち、仕入れにも同行し・・・

気が付いたら、販売士の資格も取り、婦人靴販売のマネージャーになっていました。弟が店長を務め、家族経営に規模を縮小するなか、女性の靴や足のお悩みによりそう、という販売の仕事にもやりがいを見出していました。

まさかの結婚話

運命はどこで変わるか、わかりません。韓国に留学中だった妹がお世話になった方から「日本人と結婚したい、いい男性がいる」と紹介を受けたのです。

挫折体験から、「どうせ助産師には戻れないし、もう日本脱出したい」と願っていた私にとって、願ったり叶ったりの条件です。

これが主人との出会いです(笑)

ハンサムで優しそうな主人、そして韓国語がカタコトな私でも、「娘ができるなんて、うれしいわ!何も心配しなくていいのよ!」と笑顔で迎えてくれたお義母さん。

夫とお義母さんの日本人では考えられないくらいストレートな愛情表現に、私は完全にノックアウトでした。

韓国でのカルチャーショック

韓国では、大切に想う相手ほど言いたいことはハッキリ言葉にします。耳痛いことも、「言われない方が可哀想だ!」と口にするのです。空気が読めない、くみ取れない私にとって、これは本当にありがたいことでした。

そして、これまで日本で常識だと思っていたことが、非常識な世界を体験し、「どっちでもいい」「郷に入れば郷に従え」を特訓してもらったのです。

韓国で夫と義母と3人で暮らした1年半。本当に幸せでした。

日本へ戻り、自宅出産へ

さまざまな事情から、【子どもは日本で育てた方がいい】という意見を曲げない主人に折れるかたちで、夫とともに日本へもどり、再び婦人靴の販売をしながら生活することになりました。

その時は、「韓国を離れたくない」と泣いて泣いて泣きましたが、そのおかげで、ふたりの息子を自宅出産できるというボーナスステージが待っていたのです。

(続く)

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