願うままに生きるということ
「あれがしたい、これがしたい」 そう思うたびに、どうする?と考えて、行動してきた。 それが、私にとって当たり前の生き方だった。
ただ、最近ふと気づいたことがある。 この「気持ちに応えること」ばかりを優先して、身体は置き去りになっていないだろうか。
生命は、どこにあるんだろう
この心臓が止まれば、私は死ぬ。 そんな当たり前のことを、生活の中で意識したことが、これまであっただろうか。
50歳という年齢が、少しずつ見えてきた。 いままで見えなかった景色が見えてくる。「自分の人生も終わりに向かっている」この事実を意識し始めた。
これを他の人にも当てはめ、「意識するべきである」ということではない。
私は今、大切なことだと気がついたと思う。自分事の話。
すでに、身体が悲鳴を上げているから。 それを無視して走り続ければ、身体はいつか限界を迎える。
寿命は、自分で決められないという。 それでも、生命を宿しているこの身体を大切に扱えるのは、私しかいない。誰かに任せることでもない。自分の身体。
無限の心、有限の身体
そもそも心というのは、誰にも干渉されない世界である。時空も超える。過去にも行けるし、未来にも飛べる。そして、心の中で私は思いのままに世界を動かすことができる。
身体をどうだろうか。身体の世界は、時制があり、過去に戻ることはできない。取り返すことのできない世界であり、常に今という瞬間が過去になり、今は未来に向かって積み重ねられていく。時間も、他人も、自分自身さえも、思いのままになることは難しい。実は、私たちは、この心がこの身体をまとって生きている。
私には、この身体しかない。
ふたつとない、一度きりの身体。
そんなふうに、自分の身体と生命を大切に想い、扱ったことがあっただろうか。
身体に怒りをぶつけてこなかった?
「なんで風邪引くんだよ!」
「なに疲れてんの!やる気だせよ」
「なんで動けないんだよ!」
「病んでるんじゃねーよ!!」
今までは、体調を崩すたびにとキレ散らかしてきた。
思うようにならない苛立ちに向き合うこともなく、身体を罵倒して、 「お前のせいで…💢」と呪っていた。
本当に動けなくなって、思うように仕事もできなくなって、このまま走り続けると「早死にするんじゃない?」と生命の危機まで感じて、初めて自分の身体が頑張ってくれていたことを知った。
怪我をすれば修復し、あらゆる菌やウィルスとも戦って侵略を防ぎ、睡眠不足や過食などの乱れた生活に文句も言わず、ただ黙って回復に努めてきてくれた。ただそれが間に合わなくなっただけ。
動けないことが問題ではない
動けなくなると、動けないことそのものが大問題になる。
「問題だ!」「どうしよう!!」
そうやって、騒いできた。
ただここまできて、問題は問題なんだろうかと疑問に思うようになった。
問題になったから、気が付いた。
問題にならなかったら、気が付かないまま過ごしていた。
であるならば、問題という形で気が付けてよかったのでは?
この経験を嫌というほど積み重ねていく中で、さすがに学習する。
人生の問題は、お知らせだ。
打たれ強くなった自分は、やさしくなったと思う。
- また成長のチャンスだよ!
- 今度は何に気が付くのかな?
- まだまだ成長中だねぇ(笑)
- 今はしんどいよ!その先に、いつもご褒美が待っているじゃん。
- はいはい、落ち込まない!大丈夫、きっと大丈夫!
- さぁ、どうする?問題が問題であることよりも、そっちだよ。
- あなたは、ここで何を選ぶの?待つことも選択肢だよ。
自分と落ち着いて対話できるようになり、自分を追い詰め、叱責することは少なくなっていった。
「こんな持ち主で、しんどかったよね。ごめん、ごめん!」
自分にあやまることもできるようになった。
「しんどいね。ここまでにしておこうか?」
「今日は休もうか?しゃーない、疲れているもの」
そうやって、自分の身体に確認するようになった。
【自分を労わるということは、自分に尋ねてみること】
ようやく少しずつできるようになってきた。
できないことを、受け入れる。
今、気づけてよかったと思う。
身体と一緒に生きていこう。 気持ちで身体を引きずり回すのは、もうやめよう。
ちゃんと聞いてみよう。 大丈夫? いけそう? しんどい?
確認しながら、進んでいく。
そして、できないことは、できない。 思い通りにはいかない。 だから、できることを精一杯やって、 できないなら、できないなりに、できることを探していく。
それは、周りからは自分勝手に見えるかもしれない。 それでも、自分の身体のことは、自分にしかわからない。 この心と身体の持ち主として生きていく。これは、誰にも代わってもらえない。 誰かの目を気にするよりも、自分の心と身体が出すサインに耳を傾けてみる。まずは、そこからじゃないだろうか。
誰にも分からない、 誰にも干渉されない道を、 自分の足で歩いていく。
初めて、自分を取り戻した気がした。
(2026.8.21)