本当は大阪で始めたかった…💦
大阪で新生児訪問をしていた頃、気づいたことがあります。
それは、**「実家のサポートがある人の育児は、なんだか楽しそう」**ということ。
反対に、誰にも頼れずに孤独の中で子育てしているママたちは、
とても苦しそうで、心が限界まで張りつめているのが伝わってきました。
近くに**「いっしょに育児をしてくれる人」**がいるかどうか。
それだけで、育児の負荷ってまったく違うんだ…そう実感しました。
でも現実には、ベビーマッサージや抱っこの方法など、
育児のサポートは**「レッスン」や「講座」**という形になり、
値段も高く、敷居が高いものが多い。
「本当は無料でもっと幸せに届けばいいのに…」
そんな想いが心の奥でずっとくすぶっていました。
そこで私は、「訪問型の助産院をやろう!」と決意しました。
助けを必要としている人のところへ、自分が会いに行けばいい。
その時につけた名前が、「七つ葉(ななつば)助産院」。🍀✨
四つ葉を超える、さらなる幸運を届けられるような場所にしたかったんです。
でも――。
その矢先に、まさかのコロナ禍。
そして、乳がんの発覚。
手術、放射線治療。
心も体も止まってしまいました。
大阪で、自分自身が「実家から離れて子育てしている立場」の中で、
助産院をやるどころか、子どもたちを誰に頼めばいいんだろう…
そう考えると、無条件に受け入れ、絶対に助けてくれる人たちのそばでなければ、
安心して暮らすことができない、と強く思うようになりました。
そして、夫を説得し、広島に帰郷することを決めました。
6年ぶりに、広島に復帰!💮
夢は一旦保留。
もう一度、産婦人科の現場でスキルアップを目指そうと気持ちを切り替えました。
実家のサポートを得ながら夜勤もこなす日々。
でも、順調とは言えませんでした。
乳がんの術前検査でわかった「多発性肺のう胞」。
疲れがたまると、呼吸が苦しくなる。
これは、現場の仕事をこのまま続けていたら、
**「健康寿命が縮むのでは…」**と不安がつのりました。
現場が好き。だけど体がついてこない。
じゃあ、どうやって助産師として生きていく?
普通の助産院はもう難しい。
でも、「体力を使わずに知識や経験を伝える」ことならできるかもしれない。
私にもできる?オンライン助産院🏩💗
そう思ってたどり着いたのが、
**オンライン専門の「JIKKA助産院」**という形でした。
不安で眠れないママたちに、
「知ってたら安心できること」「目からうろこの育児の知恵」を届けたい。
そして、かつての私のように、
実家が遠くて心細かったママたちの“実家”になりたい。
その想いで、準備を進めてきました。
やっとここまで来た…けど🫣
2025年3月20日、春分の日。
ホロスコープで「新しい年の始まり」と言われるその日に、
JIKKA助産院のスタートを宣言しよう!!
このブログのあいさつ文も整え、いよいよブログの本文に
取り掛かろうと構成を考え始めました。
でも、その矢先――
思いもよらない体調不良に襲われたんです。
(続く)
