兄弟ケンカ勃発!! そんな時、どうする!?
うちは2歳違いの男の子ふたり。それはもう、たくさんたくさん、きょうだい喧嘩を見てきました。ふたりが小学生の頃、一番激しい喧嘩をしていた時期には、取っ組み合いになったこともあります。
ただ、私は誰よりも力が強く、声も大きく、そして何より激しい性格をしているので(笑)、結局最後には、私が一番怒り狂っている。その姿は、
「発狂したナマハゲ👹」
でした。
「……これ、私が一番ヤバいんじゃない?」
と思ったこともあります。
- 何を伝えたらいいんだろう。
- どこを目指したらいいんだろう。
- 子どもたちに、どんな大人になってもらいたいんだろう。
ひたすら自問自答して、試行錯誤してきました。子どもの成長とともに、母も成長させていただきまして(笑)。気がつけば、きょうだい喧嘩が起きたときの、私なりの「鉄板対応マニュアル」のようなものができていました。
今、ふたりの息子がとても仲のいいきょうだいに育ってくれたことを思うと、「ああ、あのとき気がついてよかったな」「これは取り組んでよかったな」と思うことがあります。今日は、その母の苦労の結晶をシェアしてみようと思います。
もちろん、これが唯一の正解という話ではありません。全部、私自身が子育ての中で経験してきたことです。「こんな考え方もあるんだな」くらいの気持ちで読んでもらえたらと思います。
きょうだい喧嘩は、大いに学べ
私は、
「けんか=大いに学べ!」
くらいに思うようにしています。きょうだい喧嘩って、社会に出る前の人間関係の練習でもあると思うんです。
世の中、自分を中心に回っていないことに早く気が付きたまえ(笑)。
自分の思い通りにならない人がいる。相手は自分の思った通りには動かない。言ったことで喧嘩になる。うまくいかなかったら、どうするか考える。謝っても、相手がすぐ許してくれるとは限らない。嫌われることもある。
兄弟ケンカという思い通りにならない経験から人間関係の厳しさをを学ぶことができるのです。自分のとる行動が、どんな結果を招くのかも経験です。「イヤだ」「悲しい」「腹が立つ」…いろんな感情を経験したらよいのです。
ただ、「だから好きなだけケンカしなさい」というのは違いますよね。ケンカが嫌なものだからこそ、それを避けるための行動、そして起きてしまったあとの行動について学ぶチャンスと考え、無駄にしないようにします。
「ママ!」と呼ばれたら
きょうだい喧嘩が始まると、「ママ!」「ママ!」って呼ばれます。そのときは、「はいはい、どうしたの?」と話を聞きますよね。ただ、その前に大切な大前提があります。
「ママは全員の味方です」
「味方であっても、ママは思い通りにならないよ」
ママは裁判官ではありません。どっちが悪いかを決める人でもない。「ママに言ったら、ママが怒ってくれる」という仕組みにもしないほうがいいです。キリがありません。
言い分はきく。言いなりにはならない。
事実と気持ちは分ける
例えば、「〇〇ちゃんが、▲▲って言った!ひどい!いじわる!」と言われたとき。「▲▲って言われたんだ」と、まず事実を確認します。そして、「それを聞いて、ひどい、いじわるって思ったんだね」と、気持ちを分けます。
「ひどいよね!」
と同意を求められても、
「あなたはそう感じたんだね」
でいいんです。子どもの気持ちを聞くことと、子どもの評価に同意することは違います。
あなたの気持ちと、私の気持ちは別。
同化してしまわないことが大切です。相手が自分と違う存在だと自覚できてはじめて、人は自分を自覚することができます。
自他の境界線をあいまいにしない。
これは、アイデンティティの確立に絶対に欠かせないステップです。ここがあいまいになると、自分を見失い、人に振り回され、人間関係に悩む深い深い根っこになってしまいます。
「誰が悪い?」にはしない
「じゃあ、僕が悪かったってこと?」
と聞かれたら、
「悪い人を決めているんじゃないよ」
と伝えます。何が起きたのか。どこがうまくいかなかったのか。
「で、どうする?」
といっしょに考えます。
- 「ごめんなさい」がいいと思えば、謝ろう。
- 「あやまったんだから、ゆるすべきだ」と相手に要求しないこと。
- 許せるなら許せばいい。「いいよ」と言いたいなら言えばいい。
- まだ許せないなら、無理に許さなくてもいい。
善悪の白黒をつけることよりも、この困った現状をどう打開していくのか、どう行動し、またお互いにどのように感情が変化しくのかを記憶させることの方が、今後のためにも有意義だと思いませんか。
人に決められたルールは、すぐ忘れます。自分が選んだ道、その結果は記憶に残りやすいのです。
「こうしてほしい」と「要求」は違う
ここは、私が大切にしている考え方です。
「こうしてほしい」「こうだったらうれしい」「一緒に遊びたい」。
これは言っていい。願うのもいい。お願いするのもいい。ただ、
「私がこうしてほしいんだから、あなたはそうしなさい」
となると、要求になる。
要求は、相手を思い通りに動かしたい、つまりは自分が相手を支配することにつながります。
「相手がこうしてくれないと自分はこうだ」という要求も、相手への支配であり、相手に依存している関係性になります。
相手と自分との距離感があいまいになり、相手も自分も区別できない関係。この関係性は、どちらかの犠牲が伴うため長続きしません。必ず破綻を迎えます。
「たかが要求で大げさな」と思うかもしれませんが、何事も小さな芽から始まります。育てば大きな問題になるのです。
手を出すことは、別の話
叩く。蹴る。物を投げる。これは別問題。私は、「今回はたまたま怪我をしなかったからよかった」では終わらせませんでした。
「手を出すということは、怪我をさせることがあるということに気が付かないと、事故になるんだよ!」
と伝える。目に入ったら、失明するかもしれない。階段から落ちたら、二度と歩けなくなるかもしれない。耳が聞こえない人になるかもしれない。そんな事故は、山ほどある。それで人生が変わる人もいる。目の前の相手が、二度と見えなくなったら?「ごめん」で済まない。取り返しのつかないことはあり得る。身体は、何でも治るわけじゃない。
そして、
「キミたちは必ずこれから大きくなる。力も強くなる。今から練習しておかないと事故は起こる」
と伝える。
「事故を起こさない人になろう」
という話です。喧嘩するな、ではない。怒ってもいい。嫌いと思ってもいい。
人を傷つけないことを目指そう。
だれのために?事故を起こして辛い思いをするのは、怪我をした人だけではない。
人を傷つけて、周りに誰もいなくなったら、キミがつらく淋しい思いをするから。
「未来のキミを守るのは、今のキミなんだ!」と、私は今でも息子たちに言い続けています。
ママはずっと一緒にいることはできませんからね。
みんな、それぞれ頑張って生きている
これも、私は大切にしていました。
「みんな頑張って生きている」
これを否定しない。見た感じ、「足らないな」「もっとできるでしょう」と思ったとしても、それが相手の精一杯かもしれない。自分から見た世界だけが正解ではない。もちろん、だから何でも、どうでもいいということではありません。ただ、「できない=ダメ」にはしないことがポイントです。
これがこの子の精一杯なのかもしれない。だったら、どうしたらいいんだろう。この一歩引いてみることで、見えてくるものは変わってきます。
「なぜできないのか!」と責めても、できるようにはならんのですよ。言い聞かせたら、言う通りになるはずだと信じている方、本当に多いですよね。そんなに簡単に言う通りになるなら、世の中とっくに平和になっているという話です。言うだけでは変わりません。相手の行動を変えるのは、相手の気持ちを動かすことです。人はその本人にしか動かせないものなので。
とてもわかりやすい話が、「北風と太陽」というお話ですね。安心できて、話を聞きたいと思える相手の話しか届きません。
どうしたら「太陽」になれるだろうか。失敗を繰り返しながら、私は研究を続けてきました。
◎否定しない(まぁ、それはそうかもしれないね、と一旦保留)
◎攻撃しない(おかしい、間違ってると決めつける言葉を避ける)
◎要求しない(願いは伝えるが、結果は求めない)
※できてることを認めることはオススメしますが、むやみに褒めるのは肯定とはならないのでご注意ください
よかったら、参考にしてみてください。
きょうだい喧嘩は、仲がいい印かもしれない
きょうだい喧嘩は、悪いことなのでしょうか?
「けんかするほど仲がいい」。
相手に興味関心がある。それは、好きの印でもある。好きだから、求めてしまう。求めるから、思い通りにならなくて腹が立つ。
だから私はある時から、「ほんまに仲いいね!」と言うようにしました。
「今日も好きすぎて、お互いを求めてるね」「あー、好きにもほどがある」と言い続けました。
親が「仲がいい」と言い続ければ、子どもは、「そうなんかな?」と思うわけです。
思わせたもんが勝ちじゃありませんか?
もちろん、暴力や傷つける行為を肯定する話ではありません。危険なことは止める。そのうえで、きょうだい関係に「仲間」「味方」という意味を持たせてきました。
私たちは、ひとつの船の中にいる
子どもたちには、
「私たちは、ひとつの船の中に暮らしているんだよ」
と話していました。外で嵐が来たらどうする?誰かが船から落ちたら?海に落ちたら、溺れるかもしれない。だから、船の中にいる人同士で協力する。他人と協力できない人間は、この船から出た後、苦労する。絶対にひとりでは生きていけない。人生は、甘くない。だから、味方を多く作る。家族は、その一番身近な仲間。
ただし、これは「家族って素晴らしい」という美談を言いたいのではありません。外には敵もいる。優しい人もいるけれど、傷つける人、利用する人、悪意を持って近づいてくる人もいる。だから、外の世界に対する危機意識も、早いうちから持たせることは大切だと思っています。危険を感じたら逃げる。助けを求める。自分を守る。人と協力する。
だからこそ、
家の中では敵同士にならない。
私たちは味方。ワンチーム。
子どもだけに任せる?親が入る?
「もう自分たちで解決して!」って言いたくなりますよね。そして、私も言いました。「もう知らん!」「好きにしんさい!」そうやって投げ出したことも、もちろんあります。いつもいつも冷静に話なんてできません。
ここまで話しているのは、あくまで、私が長い子育ての中で残してきた「エキス」です。毎回こんなにうまく対応していたわけではありません。ただ、投げ出した後、いいことにならなかった。そこで、「ふむ、投げてみてもうまくいかないんだな」「まだ自分たちで解決はできないか」「今日はしかたない。夕飯もつくらないとね」「で、次はどうしようかな」と考える。それを繰り返してきただけの話です。
子どもだけに任せてみる。うまくいかなかったら、親が入る。ただし、全部親が解決してしまうわけではない。話を聞く。整理する。危険なことは止める。そして、
「で、どうする?」
と、できるだけ子どもに返していく。そうやって、少しずつ自分たちで人間関係を調整する力を育てていく。私の場合は、そんなふうにやってきました。
私自身の失敗も、子どもたちに話してきた
私は、自分のきょうだい喧嘩についても、子どもたちにたくさん話してきました。私自身、きょうだい喧嘩で深い孤独を感じたことがあります。本当に後悔していることもある。「私は後悔しているよ」と、子どもたちにも話してきました。「その経験を無駄にしたくないから、あなたたちに活かしてほしい」と。
親が完璧である必要はありません。私もできないことがあります。足りないところもありますし、子どもたちに迷惑をかけることもあります。そんなときは、「ごめん」「すまん」と正直に伝えます。許してくれたら、「ありがとう」です。
できるだけ努力はする。でも、何でもできるわけじゃない。
そんな現実も、そのまま伝えます。
ひとりでできないことも、誰かに助けてもらったり、誰かを助けたり・・・
そうやって「おたがいさま」「おかげさま」と生きていく方が、なんでもできる人より幸せだと思うのです。
最後に伝えたいこと
家庭って、
子どもの訓練場。
同時に、
「ここだけは大丈夫」という安全基地
になれることが理想ですよね。
そのために、とってもオススメなのが、【味方であり続ける】ということです。
これ、意外に難しいんですよ。ただ、これ以上に信頼関係を築くことのできる方法はないと思います。
味方であるためには、ドッジボールで例えるなら、
同じコートに立つということです。
味方といいながら、外野から「ああしろ!こうしろ!」とうるさい人もいますよね。自分からは見えない姿を教えてくれるのはいい。ただ、一緒に戦う気はない人を、味方とは言えません。同じコートにいるのかと思っていたら、後ろからボールをぶつけてくる人。これも信用できません。
いったい誰と戦っているんだ!
という話です。
よく、「しっかり向き合いましょう!」というアドバイスを耳にしますが、私は、
「向き合って近づいたら、ぶつかるやん……」
と思っています。同じ方向を向いて、同じ景色を共有する。そして共に歩む。それが、味方じゃないですか?
親子であっても腹が立つことはあります。「そんなんじゃだめだ!」「私の話を聞きなさい!!!」そう言ってしまうこともあります。逆効果なんですよ。まずは確認。何をどう見ているのか。どんな景色の中で、何を経験しているのか。私から見えているものなんて、一部ですから。その大前提の上で、「〇〇で合ってる?」と確認して初めて、共有できる。
私たちは、敵ではない。味方。
じゃあ、指摘をして、求められていないアドバイスをぶつけても、いいことにはならんのです。
言いたいことは、言いたい!いいですよ。言っても。ただ、
自分が何を願っているのか、目的を見失わないこと。
仲良く一緒に生きていきたいなら、味方であることを知らせ、味方であることを見せ、味方であると信頼してもらう。その積み重ねしかありません。
遠回りのようで、
一番近道です。
思春期になった息子たちが、学校であったこと。友人関係。将来のこと。何でも話してくれる。「すごいね」と褒められる機会も増えてきました。
私自身は、言えなかったんです。怒られると思っていたから。味方になるどころか、「あなたが」と傷つけられるのが怖かった。「私が悪いのか」うまくいかない原因は、ぜんぶ自己責任。他人がうまくいかないのも、「結局、その人のせいだよね」そんな狭い世界に生きていた時期がありました。いつも不安で、周りの顔色ばかりうかがって、プライドは高いのに弱虫。そんな自分が大嫌いだったんですよ。
この大きな後悔が、私の原動力です。子どもたちとは、笑って生きていきたい。子どもたちに、安心してもらえる母親になりたい。
今は、自分を育ててくれた両親にも感謝しかありません。いっぱい迷惑も心配もかけて、いつも助けてくれるきょうだいにも頭が上がりません。
いま、自分に自信が持てない方。大丈夫ですよ。突然雷に打たれて人格が変わるようなことはありませんが、目指せば、少しずつでも近づいていくものです。失敗してもいいんです。ちょっと後退してしまったり、穴に落ちたり……そんなものですよ(笑)。
できることから、やってみましょ!あなたにしか歩けない道を、堂々と歩いていきましょう。そして、過ぎてみて、後から役に立ちそうなことを、後から来る人のために役立ててもらいましょう。
そんな未来をちょっと想像して、少し肩の力が抜けたらうれしいです。